自然と”こころが潤う”メンタルセラピー
あなたへ
初めまして。自然と”こころが潤う”メンタルセラピーの結城つむぐ(ユウキ ツムグ)です。
アダルトチルドレンやHSPの気質を持ち、自己否定の中で必死に生きてきたあなたへ。 自律神経の不調や、どうにもならないイライラ、そして「自分なんて」という思いに押しつぶされそうになっていませんか?
自分自身の経験を通して、「そのままの自分でいい」と心から思える時間を共有し、あなたの心が柔らかくほどける場をお届けしています。
100倍の言葉で返される恐怖と、消えた自信
私の記憶の原風景は、常に誰かの顔色を伺い、言葉を選ぶ日々でした。
何かを「したい」と口にしても、待っているのは祖母からの強い反対。
父母が認めてくれたとしても、最後には必ず祖母という壁に阻まれ、私の願いはなかったことにされる。

そんな環境で育つうち、私はいつしか「自分の意思は認められないもの」と思い込み、自分の人生のハンドルを他人に明け渡して生きてきました。
授業中にお腹が痛くなる私を、先生が心配して勧めてくれた催眠術。あんなに効果があったのに、「そんなものに頼って!」と祖母の一言でやめさせられた。
「良くなりたい」という小さな希望さえ、この家では許されない。「私はこの家で、自分の意思を持ってはいけない存在なんだ」と、絶望が体温を奪っていくような感覚でした。

「そんな歩き方をして」「なんでこんなこともできないの」 日常のすべてを否定され続け、自分の本名すら母から何気なく聞かされ「大嫌いな祖母がつけたもの」と知った時の絶望。

生まれて初めてのプレゼントさえ、私にとっては呪縛のように感じられたのです。
母は優しかった。けれど、祖母の前ではあまりに無力でした。
父もまた、その嵐から私たちを守ってはくれませんでした。
祖母が絶対君主だったこの家で、父もまたストレスの行き場がなかったのかもしれません。母を守ってくれない父を恨んだこともあります。
家族全員が、祖母という嵐が過ぎ去るのを、息を潜めて待つしかなかったのだと。 誰も助けてくれない絶望の中で、私は心にシャッターを下ろしました。
一蹴された私の切実な想い
中学時代、思いがけず芸能界へのスカウトを受けました。当時の私には、華やかな世界への憧れなど全くありませんでしたが、ただ一点、胸が震えるような期待がありました。

「これで、この家を出られる……!」
それは、喉から手が出るほど欲しかった自由への切符でした。勇気を振り絞って、
「私、芸能界に入るから東京に行きたい」
と家族に打ち明けました。
しかし、そのわずかな光は、容赦なく消されました。
父母からは
「そんな危険なところに行かせたくない」
「一人でやっていけるわけがない」
と猛反対を受け、
さらに祖母にいたっては
「何をバカなことを。あなたにそんなところ務まるわけがないでしょ」
と一蹴されたのです。
誰一人、私の「ここから逃げ出したい」という切実な想いに気づいてはくれませんでした。
期待が大きかった分、絶望は深く、私は二度と自分の意志を口にしないよう、心のシャッターを固く下ろしてしまったのです。
保護者の承認という壁。
「やっぱり、私はどこへも行けない。こんな枠の中で生きていくしかないんだ」
その時に深く刻まれた絶望感と無力感は、大人になっても私の心を縛り続けました。
悲しい言葉の後の心理学との出会い
しかし、本当の試練は自分が親になった時にやってきました。

愛しくてたまらない我が子。
自分には足りなかった「大好き」を洪水のように浴びせ、この子のために何でもしてあげたい。
そう思っていたはずなのに、ふとした瞬間に、祖母と同じ厳しい言葉を子どもに投げつけている自分に気づいたのです。
我が子に「大好き」を洪水のように浴びせたのは、自分が欲しくてたまらなかったものを埋めるためだったのか。
「大好きだから言うのよ」――それは、言葉の暴力の後に優しさで縛る、かつて私が憎んだ「毒親」の姿そのものでした。
厳しく当たった後に「大好きだから」と抱きしめる。それは、かつて私を支配した祖母と同じ「優しさという名の鎖」でした。
「私は、私があんなに憎んだはずの存在に、今、なっている……」その事実に気づいた時、目の前が真っ暗になりました。
「お母さんの干渉から逃げたかった」 子どものその一言で、私の世界は崩れ去りました。
心理学を貪り読み、セミナーに通い、涙が枯れるまで自分と向き合いました。
生きづらさから逃れるように心理学も学び始めましたが、当初は知識を詰め込むだけの「頭でっかち」な状態。
日常が劇的に変わることはありませんでした。
空虚を埋めるのは自分自身だとの新たな気づき
転機は親友からの相談でした。
旦那様の愚痴をこぼす彼女に対し、私は学んだばかりの知識を思い出しながら、彼女の気持ちを一旦まるごと認め、対応の仕方をアドバイスしました。
何度か会って彼女自身のこころに呼びかけていると、彼女の表情が明るくなっていっただけでなく、不思議なことに私と夫との関係まで、以前より良好に変化していったのです。

「外側を変えようとするのではなく、まず自分を認めること」。知識が初めて、私の「実感」へと変わった瞬間でした。
そこで気づいたのは、「子どもを抱きしめる前に、まず自分自身をぎゅっと抱きしめてあげるべきだった」ということです。
私が私として幸せに生きていないから、子どもを自分の「欠損を埋める道具」にしてしまっていた。その連鎖を、私の代で絶対に終わらせる。
そう決意した瞬間から、私の本当の人生が始まりました。
物理的に「おかあさん」でいられなくなった時、私の中には空っぽの空洞しか残っていませんでした。
誰かのために生きることでしか自分を保てなかった。
でも、その空洞を埋めるのは、他人ではなく「自分自身の愛」だったのだと、心理学の海を泳ぎながら、ようやく見つけたのです。
ゆるぎない「私」を生きる
その実感を確信に変えたのが、夫が事業をたたむと決めた時です。

以前の私なら、将来への不安に押しつぶされ、夫を責めたり取り乱したりしていたでしょう。
けれど、その時の私は驚くほど冷静でした。
「夫がどうあっても、私は私。何があっても、大丈夫」
幼い頃、祖母に認められず、ずっと迷子になっていた「私」という存在を、ようやく自分自身で認め、抱きしめることができたのです。
外に求め続けていたものが、すでに自分の中にあったと気づいたとき、心は静かに満たされていきました。
それは派手な喜びではないけれど、確かに自分を支えてくれる、あたたかな安心でした。
頑張らなくてもいい場所へ
かつての私と同じように、誰かのために、あるいは誰かの顔色をうかがって生きてきたあなた。
誰かの期待に応えようとして、自分の声が届かなくなってしまったあなた。
ここは、頑張らなくてもいい場所です。
うまく話せなくても、正しい答えが出せなくても大丈夫。
一人で頑張らなくても大丈夫です。
「私は私でいい」「私の人生を生きていい」 そう思える瞬間を、ゆっくりと一緒に見つけていきませんか。
あなたがあなたらしく、穏やかな毎日を紡いでいけるよう、心から寄り添わせていただきます。


